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2008年9月 アーカイブ

2008年9月19日

アリバイ泉沢庶民の名字

このように苗字は受け継がれてきたのですね。
びっくりしました。

古代の庶民は主に、豪族の所有民たる部曲の「○○部」という姓を持っていた。例えば「大伴部」「藤原部」というようなものである。しかし部曲の廃止や支配者の流動とともにその大半は忘れられ、勝手に氏を名乗ることもあった。

名字(苗字)は、アロママッサージ姓(本姓)と違って天皇から下賜される公的なものではなく、近代まで誰でも自由に名乗る事が出来た。家人も自分の住む土地を名字として名乗ったり、ある者は恩賞として主人から名字を賜ったりもした。

江戸時代には幕府の政策で、武士、公家以外では、平民の中で、吉祥寺のエステ庄屋や名主など特に許された旧家の者だけが名字(苗字)を名乗ることを許されるようになった。これをもって「江戸時代の庶民には名字が無かった」という具合に語られることがある。だが庶民といえども血縁共同体としての家があり、それを表す名もある。ただそれを名字として公的な場で名乗ることはできなかった。私書箱・転送電話そうした私称の名字は寺の過去帳や農村の古文書などで確認することができる。また商人がしばしば屋号をそのような私称として使った。魚や野菜などの食べ物、土地にちなんだ名字が多く見られるのもこのためで、「○○の人」と分かりやすくするため、用いられていたと言われている。

さらに江戸時代の寺院の寄進帳には、その村の全ての農民が名字を記入している例が大半であり、小作人までもが名字を持っていたという文献も数多く残っている。これは全国各地に見られることである。また、庶民が名字を持っておらず私書箱・福岡「苗字必称義務令」(後述)の際に適当に名字を作ったというのであれば、地域によって存在する苗字に偏りが出ることも奇妙である。(事実任意に付けることの可能な名前は地域による偏りはみられない)。これらの理由により、現在は「江戸時代の庶民には名字が無かった」という説は、研究家の間でほぼ完全に否定されている。しかし一部には名字を持たなかった庶民、何らかの理由で名字を失った庶民がいたと思われる。

引用『ウィキペディア(Wikipedia)』

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